top of page

映画『インセプション』感想文

インセプション

映画『インセプション』感想と考察|夢と現実をめぐる哲学的な旅


クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』、公開からずいぶん経った今でも根強い人気がありますよね。「夢の中に入ってアイデアを植え付ける」なんて設定自体がもうワクワクしますし、映像表現も圧倒的。でも、それ以上に引っかかるのは、「これって夢?それとも現実?」と永遠に頭を悩ませてしまう哲学的な問いかけです。


夢と現実の境界ってどこ?

この映画の象徴といえば、やっぱりコブの“トーテム”(回転するコマ)。現実か夢かを見分けるための小さな道具ですが、最後にそのコマがどうなるかはハッキリ描かれません。


これってデカルトの「私は考える、ゆえに私は在る」的な懐疑論を映像化したようなもの。結局、私たちは「現実」と思っているものをどこまで信じられるのか? という問いを突きつけられているわけです。


「私」をつくるのは記憶?

コブが妻マルとの記憶に縛られている姿は、かなり痛々しいけれど興味深いテーマでもあります。哲学者ジョン・ロックは「人間の同一性は記憶によって成り立つ」と言ったんですが、この映画ではその記憶が操作されうる危ういものとして描かれています。


もし他人に植え付けられた記憶が「自分の思い出」になってしまうなら、私らしさってどこからどこまでが本物なんでしょうね。


あのラストの意味は?

結局ラストでコマは倒れるのか回り続けるのか?――監督は答えを出していません。でも考えてみれば、そこは重要じゃないんですよね。大事なのはコブが「もう家族と一緒にいる世界を選んだ」ということ。


確証よりも意味を選び取る。これってまさに“実践的リアリズム”ってやつで、「正しさ」より「幸せ」を選ぶ勇気を描いているんだと思います。


不確実性と付き合って生きる

『インセプション』は、ド派手なアクションや緻密な映像の裏側に、「現実って何?」「自由意志って何?」という深い問いを隠し持った映画です。そして最終的に私たちに突きつけてくるのは、「100%の確証なんてなくても、自分が信じたい世界を選んで生きる」っていう実存的な態度なんですよね。


不確実性を恐れるより、その中でどう生きるか。この映画を観ると、そんなシンプルだけど重いテーマを改めて考えさせられます。


映画を観ているはずなのに、気づいたら自分の生き方のことを考えていた。『インセプション』って、そんな不思議な魔力を持った作品でした。観るたびに新しい解釈が浮かぶので、きっとこれからも長く語り継がれていくんでしょうね。


『インセプション』は、単なるサスペンスやアクション映画ではない。夢と現実の境界を問いながら、私たちに「今ここで生きる意味」を静かに問いかける哲学的な作品である。観終わった後、頭の中でコマの回転がまだ続いているような、不思議な余韻が残った。

コメント


bottom of page